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ヨハネスブルグの中心、ソウェト

South Western Townshipsの各単語の最初の2文字をつなげたソウェト(Soweto)は、ヨハネスブルグ南西郊外に位置する地区。当初は炭坑労働者や黒人の居住区でしたが、その後、反アパルトヘイト運動の象徴になりました。現在のソウェトは、新しい南アフリカを反映した活気ある街であり、多くの記念物が輝かしい過去を物語っています。

ソウェトには、粗末なスラム街や下水溝と、豪華な邸宅やBMWのショールームが混在しています。文化のるつぼであり、現地の諸言語、労働者のスラング、アフリカーンス語の入り混じる多言語地区でもあります。通りに流れる陽気な音楽、そして金持ちと貧乏人、若者と老人、過去と未来が共存する力強さ、それがソウェトです。

ソウェトの街
ソウェトの街

ヨハネスブルグ

ソウェト蜂起

1976年、南アフリカ政府が学校教育に英語ではなくアフリカーンス語を用いると発表すると、ソウェトで大規模な抗議行動が起こりました。学生たちはあちこちでデモ行進を行い、13歳のヘクター・ピーターソンが警察隊の発砲で命を落とすと、遺体の写真が世界中で掲げられました。数百人の犠牲者を出したこの夏の暴動を記念して、2002年にヘクター・ピーターソン博物館が設立されました。少年の射殺現場にほど近いこの博物館は、目撃者の証言や、写真やフィルムで暴動の様子を伝えています。

アパルトヘイトの英雄たち

著名な反アパルトヘイト運動家の多くがソウェトの住人でした。ネルソン・マンデラ氏やデズモンド・ツツ師もソウェトに住んでいたことがあります。どちらの家もオーランド・ウエスト地区のフィラカジ通りにありました。ノーベル賞受賞者を2人も輩出した通りは世界でここだけです。マンデラ氏が住んでいた粗末な赤れんがの家は、ウィニー元夫人が頻繁にテレビ出演したので多くの人が知っています。マッチ箱のような小さな家は、現在、ネルソン・マンデラ国立博物館として、マンデラ一家の思い出の品、絵画、写真などを展示しています。

マンデラ氏の自宅を博物館に

アフリカの大都会

ヨハネスブルグは気ぜわしい現代的な大都会ですが、ソウェトには心地よい雑踏があります。クリス・ハニ・バラグワナス病院の歩道橋から眺めてみましょう。商品を売り歩く行商人や、値切ろうとする買い物客。タクシーを止めようと手を振る勤め人もいます。