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古都マドリードの心臓部

公開処刑、闘牛、貴族による決闘と、長方形のマヨール広場は、数多くの血なまぐさい儀式の舞台となってきました。現在では平和な場所となり、広場はショップやオープンカフェがたくさん並んでいます。ここは、16世紀にハプスブルク家が築いたマドリード・デ・ロス・アウストリアス地区と呼ばれるエリアで、マドリード最古の中心部です。

マヨール広場にあるアーチをくぐると、まるで時が戻ったような気がします。聖人の像、切手や土産物を売る小さな店の窓や店先は何十年も変わっていません。窓や看板には、店の名前が装飾文字で書かれています。広場の中央には、現在の形に広場を造ることを命じたハプスブルグ家の王、フェリペ3世の騎馬像があります。

マドリードの心臓部、マヨール広場
マドリードの心臓部、マヨール広場

マドリード

マヨール広場の歴史

マヨール広場は、城壁の外の同じ場所で開かれるささやかな市場として中世に始まりました。当時は「アラバル広場」と呼ばれ、その後、「憲法広場」、「レアル広場」、「共和国広場」と歴史の流れと共に名称を変えてきましたが、常に地元の人々にとってはマヨール広場(大きい広場)として知られていました。広場が荒廃していると感じたハプスブルグ家の王、フェリペ公が、宮廷建築家のフアン・デ・エレーラに全面改修を命じ、目玉として壁に見事なフレスコ画が飾られたカサ・デ・パナデリア(パン屋の家)も建てられました。広場は何度となく火事の被害に遭い、現在の長方形の姿になりました。四方に門があり、真っ直ぐ伸びた塔が2つ向かい合わせに建てられ、4階建ての黄土色の建物が周囲をぐるりと囲んでいます。かつてマドリードの人々は、広場を見下ろす237個もの鉄製バルコニーから、公開処刑や闘牛を眺めたものでした。

“237個のバルコニーから公開処刑や闘牛を見下ろすことができました”

広場のフェリペ3世像

マヨール広場周辺のカフェやレストラン

マヨール広場は毎日何千人もの人々が訪れる人気のスポットです。多くの人は壮大な歴史的広場を見物するのはもちろん、陽射しを浴びたオープンカフェでいただくカフェラテやタパスを楽しみにしています。確かにカフェは観光客向きですが、少し離れたバールやレストランも趣きがあります。「Mesón de la Guitarra(メゾン・デ・ラ・ギターラ)」は冷えたワインやサングリアが最高で、「Museo del Jamon(ムセオ・デル・ハモン)」は爽快な冷たいビールとイベリコハムのサンドイッチがお勧め。「Mesón del Champiñón(メゾン・デル・チャンピニオン)」では数々の極上タパスがいただけます。

退屈することがないマヨール広場

写真提供

  • 退屈することがないマヨール広場: Joerg Hackemann, 123rf