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活気溢れるキエフの中心地

過去何世紀にもわたって、独立広場は、活気溢れるキエフの中心地であり続けてきました。また、ウクライナで最も歴史的な場所でもあり、最近起きた2014年の政変を含め、この広場ではこれまでに何度も革命が起こり、勝利を祝い、祭典が開かれてきました。今もその伝統は続いています。独立記念碑は人気の待ち合わせスポットです。噴水で子どもたちが遊び、日当たりの良いテラスはいつも人で賑わっています。

マイダーン・ネザレージュノスチ(独立広場)は、大抵は「マイダーン(広場)」と呼ばれています。威風堂々たるホテル・ウクライナの最上階は、この広場を見渡せる最高のスポットです。左に音楽学校、右に音楽堂、そして中央には、先端にスラブ神話の女神Berehyniaをあしらった高さ40mの独立記念碑を見ることができます。記念碑の後ろにある噴水には、キエフ建造に寄与した4人の英雄の彫刻と、大天使ミカエルを冠した市門のレプリカがあります。独立広場には、さまざまな象徴が至るところに散りばめられています。

活気溢れるキエフの中心地、マイダーン
活気溢れるキエフの中心地、マイダーン

キエフ

“独立広場の名称が何度も変更されてきたことから、キエフの激動の歴史が伺えます”

湿地から騒乱の場へ

十字路広場、市立議会広場、ソビエト広場、カリーニン広場、十月革命広場、そして独立広場と、この広場が何度も改称されてきた事実は、キエフとウクライナの激動の歴史を物語っています。19世紀初め、ここはただの湿地でした。初めて家が建てられたのは1830年頃のこと。産業革命中にキエフは急速に成長し、この広場が市の商業中心地となりました。しかし、第二次世界大戦で完全に破壊され、ゼロから再建されました。そして1991年、ウクライナがソビエト連邦から独立したのを受けて、独立広場となったのです。2004年には大統領選挙の結果に対する抗議運動が起こり、この広場はオレンジ革命の震源地となりました。疑問の残る選挙結果へのデモや抗議活動が、何度もここで行われました。それから10年後、親ロシア派と親ヨーロッパ派の争いが再び加熱し、2014年2月、このマイダーンで数十人が死亡し、数百人が負傷しました。
独立広場のバリケード

広場近くの宿泊

独立広場で最も目立つ建物が、ホテル・ウクライナです。1961年に建てられ、何年もの間、「モスクワ」の名で知られてきました。スターリン様式の宮殿として設計されましたが、時のソビエト最高指導者、フルシチョフによって不要な装飾をすべて排除するよう命令されました。大理石の柱を伴った壮麗なエントランスは取り払われ、数えきれないほどの彫像やレリーフ、屋根に飾られていた巨大な赤い星も撤去されました。多くの人にとって、このホテルは単なる巨大なコンクリートの箱であり、目障りな建造物でしかありません。この建物を取り壊す計画はいくつもありますが、今のところ宿泊予約を受け付けています。50ユーロで4つ星の部屋に泊まれ、独立広場の5つ星の眺めを楽しめるホテルです。
スターリン様式の四角い箱、ホテル・ウクライナ

写真提供

  • スターリン様式の四角い箱、ホテル・ウクライナ: Clay Gilliland, Flickr